5・20 菅原しげみ 演説

日本共産党の都議会議員予定候補 菅原しげみです。今夜は大勢の皆さんにおいでいただき、本当にありがとうございます。
そして、社民党の佐久間さん、自由党の渡辺さん、戦争いらない多摩市民連合の永井さんありがとうございます。

私は今、市民と野党の共闘がこの多摩市でしっかり根付き、広がっていく、新しい政治の動きを確信することができたことに感動しています。大きな力を頂きました。

昨日、共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決されました。数の力でごり押しをする、民主主義否定の行為に大きな怒りを感じると同時に、いま安倍自公政権の下で日本国憲法が壊されていくことに深い憤りを感じます。

私の父は、南方のポナペ島で終戦を迎えました。玉砕をしたサイパン島のすぐ近くです。ポナペ島の日本兵は、アメリカ軍に対して抗戦せず、島の人から奪うこともせず、カエルや蛇を食料にして森に潜み、1年後にようやく帰ってきたそうです。軍隊生活はいいことなどなかったという父でしたが、実はこのような話を私はじかに父から聞かされ記憶はありません。母や、父を訪ねてきた人の会話の中で知ったのでした。父はすでに亡くなって10年になりますが、60年間、娘にも言えない深い傷を負っていたのではないか、戦争は亡くなったり、けがをした人だけでなく、如何に普通の国民を死ぬまで苦しめるものか・・、戦争の反省のもとに定められたはずの日本国憲法をかえ、再び戦争の道に歩みだそうとする動きを何としても止めなくてはと、心から思います。 昨年、貝取9条の会の学習会で高校生が「憲法9条を守ってきてくださって本当にありがとうございます」と発言しました。目が覚める思いをしました。この子たちに、憲法9条を、日本国憲法を無傷で手渡すことに全力を尽くす、その決意でいっぱいです。


先日、この多摩センター駅前の六角広場の真ん中にいすを並べてストリートトークライブを衆議院小選挙区予定候補の松村りょうすけさんと弁護士の白神優理子さんとで開きました。その時、最初の話題が「政治家を志したのはどうしてですか?」というものでした。打ち合わせなしのぶっつけ本番だったので、ちょっと考えてから私がお話したのは保育所に勤めていた時のことでした。

多摩ニュータウンが陸の孤島と呼ばれ、まだ永山駅も多摩センター駅もなかったころ、都心の職場に通うお父さんお母さんは、保育所に入れない、やっと入れても保育所がしまる時間には到底帰ってこれない、延長保育の切実な要望が高まっていました。また、保育者の中には腰痛や頸肩腕症候群などで体を壊す人も出て、保育所労組の役員をしていた私は父母の皆さんと一緒に議会への請願署名や市との交渉を何度も重ねていました。ある交渉の時、当時の市長が、父母のあまりにも激しい訴えに「私は皆さんから子供を産みますという相談は受けていません」そう言って後ろを向いてしまったのです。あの時の市長の背中を、私は今でも覚えています。大きな大きな政治の壁を感じました。この壁をなくさなくては、子どもたちの発達とお父さんお母さんの労働を保証し、保育者の労働条件の改善はできないと痛感しました。

保育所に勤めて11年目、私はこの政治の壁を直接壊したいと、市議会議員に挑戦しました。多くの保育関係者の皆さん、地域の皆さんの力で当選させていただき、市議会では手を変え品を変え保育のことを取り上げました。特に延長保育の制度化は父母、職員の切実な願いで、毎年請願署名が取り組まれ、対市交渉、議会要請、一人一人の議員への要請が繰り返されてきました。東京都の特例保育は定員の1割程度を想定していましたが、多摩市では53%が特例対象児ですべての保育園がもう破たん寸前でした。1990年秋、深夜までかかって委員会で請願が採択され、本会議でも採択、市も1年後に実施を約束しました。その時の父母の喜びの声です。この黄色くなった東京民報に載っています。大事にとってありました。「今までやって来た事が形になってくる、本当にうれしい。動かなくては何も始まらない。もっともっと声を出していかなくては」「菅原議員の賛成討論は父母や先生方、子どもたちを含めたみんなの思いを吐露するような胸に迫るものがあって、涙が出てしまいました。長い間の積み重ねが本当に花を咲かせた瞬間に立ち会ってやはり努力が実るんだ、と心の底から思いました」

広く広く、多くの方と手をつないで、そして絶対にあきらめない。そうすれば必ず政治は変えられる。この経験はその後の私の市議会議員としての確信となりました。赤ちゃんの医療費無料制度、京王や小田急と交渉してダイヤ改正、エレベーター・エスカレーターの設置。ごみ減量リサイクル条例、議会での非核平和都市宣言、ミニバスの運行、などなど。市民の皆さんと共同の力でたくさん実現してきました。

5期目に入ってC型肝炎で体調を崩し議員を辞することになりました。それまで病気らしい病気はしたことはなかったのですが、この時、初めてがんばってもできないことがある、人に助けてもらわなくてはならないことがあることに直面しました。高額な治療費と副作用の強いインターフェロン治療、3回目でようやくウィルスがなくなり、私は健康を取り戻すことができましたが、患者仲間で何人もがんを発症し残念ながらなくなっていった方もいらっしゃいました。

治療しながらケアマネージャーとして民医連の職場で働き始めました。ケアマネとして110人以上の方を担当させていただき、110人の方には110通りの人生があり、その人生をその人らしく全うするためには国や都の言いなりになっていてはいけない、利用者のために戦うケアマネージャーでなくてはとの思いで、時にはわがままを言う利用者さんともちょっと戦って、たくさんのことを学ばせていただきました。

2000年に始まった介護保険は当初は介護の社会化と言って家族の介護負担をなくす視点が強かったのですが、3年ごとの見直しでサービスがどんどん削られるようになりました。車いすやベッドは要介護2から、特別養護老人ホームは要介護3から、家族と同居していれば家事援助は認めない、一定の所得以上は利用者負担を1割から2割にするなどです。いま参議院で審議中の介護保険改定案は31本もの法律を一括して提案し3割負担導入や、40歳から64歳までの保険料の引き上げなどを盛り込んでいます。介護保険を必要な人にちゃんと役に立つものにする、この戦いも私のライフワークとなりました。
   
いま、都政で築地市場の豊洲への移転問題が大争点になっています。私は栄養士として保育所の子どもたちの食事作り、高齢者のお弁当作りに携わってきました。どんなに立派な献立を立てても食材の安全が保障されなくては何にもなりません。

6000億円もかけてもう出来上がっているのだから早く豊洲になどという自民、公明党は私たちの命を何だと思っているのでしょうか。地上も地価も基準値以下にすると約束して築地の業者さんを無理やり豊洲に移転することを納得させ来た都政ですが、一昨日の専門家会議で平田座長はついに「汚染は残る」と認めました。これまでの対策は大失敗、築地の皆さんが怒るのは当然です。「約束が違う、6000億円もかけてくれとは誰も言っていない、もう豊洲ではお客が来ない」こう言ってとうとう専門家会議は途中で終わってしまいました。

先日府中の卸売センターのまぐろやさんに話を聞きました。本店が築地にあり、月島で生まれ、築地市場で育った人です。はじめは胡散臭そうに写真はダメ、と言っていましたが、「石原になったら突然決まった、豊洲は狭くてマグロを裁く長包丁を使えない、海水を流せない、耐荷重が足りないから水槽に水がはれない、ターレが走ればそのうち床が抜けるだろう、利用料金も決まっていない。絶対築地だ」 と最初は小さい声で話していたのにだんだん怒り出して、写真もとっていいよと。

そのあと都議候補がそろって築地市場を見に行きました。海水を使うからハエがわかない、築地では卸、セリ、仲卸、買受人、買ったものをまとめて、トラックへ運ぶという動線がとてもスムース、東日本大震災の時にもガラス1枚割れなかった、食の事故も一度も出していない。80年の歴史があるよと誇らしげな説明を受けました。

築地市場問題は単に市場を移転するかどうかという問題だけではありません。これまでの、福祉は贅沢とか、高齢者福祉は枯れ木に水をやるようなものと言って福祉予算をどんどん削り、大規模開発を進めてきた石原、猪瀬、舛添と続いてきた都政とそれを支えてきた自民公明などの与党の体質が歴然と現れた象徴的な問題です。築地市場の跡地を狙った再開発を進めるために、森ビルの計画も見え隠れしながら、都民の命の源の築地市場を農水大臣でさえふさわしくないと言っている汚染が取り切れない豊洲に移す、そしてその市場作りでも東京ガスや大手ゼネコンのぼろもうけに手を貸す、23重に都民に冷たい、ゆがんだ都政が浮き彫りになっています。

小池知事は、築地市場の移転問題を都議選の争点にするといっています。昨日の記者会見では移転を早く決めろという人たちに対して「豊洲の問題は中途半端に決めたから立ち止まった。移転の決断を早くという人たちは何か都合が悪い人たちなのではないか」と反論しています。今度の都議選で、日本共産党を伸ばしていただくことで、私、菅原しげみを都議会に送っていただくことで、この築地市場移転をきっぱりと中止させましょう。

みなさん、議員や議会というのは知事や市長が行う政策が市民、都民の立場に立っているかどうかをチェックし、調査し、提案する役割を持っています。自民公明の与党は3代続いた知事の提案する議案に100%賛成して後押ししてきました。この多摩稲城選出の現職都議は認可保育所はコストがかかるからとブレーキをかけ、少子化対策は婚活が必要だから学校教育に取り入れたらという発言をしている人です。こんな人に都政を任せられるでしょうか。市議会議員の経験から市の行っている仕事、市が単独で進めているものはほとんどありません。国民健康保険も、介護保険も、公園の整備も、道路の補修も、学校教育もみんな都と国の補助金、交付金、負担金などで成り立っています。だから市民のための市政を進めようと思ったら、都政や国を変えなくてはなりません。都政や国を変える議会を作らなくてはなりません。

私、菅原しげみをぜひ都政で働かせてください。シルバーパスの負担軽減。三多摩格差をなくし中学生までの医療費無料化、35人学級を小学校3年以上中学2年以上にも実現する。18時間、週40時間働いたら生活できる東京を実現します。待機児ゼロ、都議会改革の前進、憲法を都政に生かします。ニュータウンに住んでいるのは私だけです。今住んでいる人が住み続けられるニュータウン再生を実現します。

いま関西ではやっているスローガンです。「私はあなたと政治を変えたい」。皆さん、私もそう思います。市民と野党の共闘で、広く広く手をつないで、「私は皆さんと政治を変えたい!」。がんばります。ありがとうございました。

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